寝言は寝てから

荒川弘ファンのてきとうなおしゃべり。

つれづれ

最近思ってること2つ

 
1.新しいこと。
 
人に話したくなる作品は、3要素を持っていると思う。
 
優れていること。
心地よいこと。
新しいこと。 
 
優れていること、は、多重性があること、と言い換えることもできる。
自分の内側をかき回されること、何かが引っ張り出されること。
 
心地よいこと。
丁寧なこと。妥協のないこと。考え抜かれていること。美しいこと。
 
新しいこと。
驚きと興奮。
 
優れたものより、心地よいものより、新しいものこそ人に話したくなる。
新しいこと。伝播力として、これほど強力なものはない。
 
シン・ゴジラは新しかった。
君の名は。も新しかった。
鋼の錬金術師銀の匙も新しかった。ではアルスラーン戦記はどうだろう?
 
 
 
2.人生の三分の一
今、私が初めてアニメイベントに行ったり、DVDを買ったりしているのは、今までの作品よりこの作品のほうが好きだ、からではなくて。
今はちょうど、自分の余暇を自分の好きなように使える三分の一の期間に居るから。
 
平均年齢まで生きるとして、人生は90年弱。
そのうち、最初の10年と最後の10年は誰かの世話にならないと生きられない。
その後や手前の5年間も、多少は誰かの手助けが要る。15の私が悔しかったように、75の私も悔しい思いをするのだろう。
健康に恵まれても、人生90年のうち30年は、自分の好きなようにはできない。
 
そしてまた、今度は世話をする側として、家族と呼ばれる人の最初の15年と最後の15年にも、かかわらなければならない。
親の無いひと、子の無いひと、病気もち、ぴんぴんコロリ、ここは人によってものすごく差異がある。人生90年ずっと、世話されるか世話するかで過ぎていく人もいるだろうし、最初の15年のほかはすべて自分の自由にできる人もいるだろう。
でも、均すとだいたい、30年。
 
だから例えば、たまたま健康に生まれ、子供を持つ人生を選んだら。
世話される側が終わって子供の世話する側に入るまでの10年
子供の世話が終わり親の世話が始まるまでの10年
親の世話が終わり自分が世話されるまでの10年
が、自分の余暇の使い道を自分で決められる時代だ。
 
どこかが伸びればどこかが縮まるし、どこも伸びないのに被りまくりで10年なんて取れっこない!ってこともあるだろう。
でも、私はたぶん、この10年の中にいる。
あれやこれをやったあと、余暇がある。
今の私は、誰かに頭を下げなくても自分の判断で出かけることができる。
この、開放感!
楽しまなくっちゃ!
 
いずれまた、世話する・される期間に入る。でも私は今、楽しいので、そうなった時も、まあ楽しんだもんなしゃーないな、って思えるような気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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