寝言は寝てから

荒川弘ファンのてきとうなおしゃべり。

Febri vol.40 荒川弘インタビュー と、作品レビュー

4月に発売された Febri vol.40は、リトルウィッチアカデミアの特集号ですが、後半に荒川弘先生のインタビューが載っています!

デビューから今までの流れですが、新情報が3点!

 

1.荒川家について。

ルーツが群馬にあることは百姓貴族で描かれてますが、その本家が今も存続している(いた?)のは初情報じゃないかしら?

お祖父さんは昔、絵を描いていて、それが本家に残っていたんですって!

やっぱり遺伝的にもどっかで絵描きの才能があったんですねえ~。

 

2.銀の匙について。

「卒業から少し経った八軒たちの姿を描いて終わることになると思います。今は、ちょうど最後のネームを書き溜めているところです。」

ということは、今、サンデーの連載が14巻の半分くらいの分量で止まってるので、15か16巻で終わるとかそんな感じでしょうか?!

アニメ3期!アニメ3期を是非に~!!!

ネーム書き溜めて、掲載決まったところでペン入れという流れかな?今度連載開始したら最終回まで行っちゃう?行っちゃうの?!

寂しいけど、でも、読みたいよう。14巻はね、もうね、すっごいイイ巻だから!コミックス派さん、ものごっつ期待しててください!!!!

 

3.スクエニ

「『銀の匙』が終わったら、またスクウェア・エニックスさんに戻るとは言ってあるんですけど……」

そっかー!

うんうん。いずれはスクエニに戻る、少なくとも下村裕一編集長(ハガレン連載開始直後~完結まで担当)の花道は飾らせてあげるんじゃないか説、ファンの間では根強いですが、やっぱりそうなのね~。

 

てことは、ハガレン実写化で注目を集めたところで銀の匙完結、実写映画のニュースがまだ温かい2018年中に「荒川弘がガンガンに帰ってくる!」みたいな予告を打って、半年以内に新連載開始、とかかしら?とかかしら?!

 

 

ほか、鋼の話。

イシュバールを描くにあたり戦争体験者の親戚に話を聞いたのは単行本折り返し以降何度か語られていますが、それがインパール作戦生還者なのは、初出でしたでしょうか。

イシュバールの錬金術はインドのそれをモデルのひとつにしていること、白金の錬金術師ジョリオ・コマンチの描写(彼をして、家に帰ったら優しいおじいちゃんなのかも、と語る荒川弘の客観性!)など、思い返して感じるものがありました。

 

ハガレン連載終了直後のインタビューでは、アニメと同時終了により作品として盛り上がった感謝とともに、そのためにカットせざるを得なかった場面を惜しむ発言がありました。

それで完全版のカバー下にも没ネームを載せてたり。(大総統の汽車を爆破テロで落としたグラマンは、実はマスタングとオリヴィエから漁夫の利を得ようと画策していたが、セントラルに向かおうとしたところをマイルズが後ろから拳銃を突きつけて止める、という超絶かっこいい場面。確かにこれは見たかった!)

でも、今回、「振り返ってみると、切り捨てたということは結局、必要なかったということなのかな、と。」とおっしゃっていて、そうかー先生も納得されたんだなあ、それだけの年月が経ったってことなんだなあ、なんて思いました。

 

インタビューは分量もたっぷり、話運びも的確で、とても読みやすかった!

インタビュアーは宮 昌太郎さん。

 

この方は作品紹介ページの鋼の錬金術師のレビューも書いているんだけど、それもすっごくいいの!

 鋼の錬金術師は倫理的な物語だ、という切り口から、

「ただし、その正義は『強きを挫き弱きを助ける』と言った、誰もが納得できる類のものではない。エドにとっての正義―――それは『欲望を自制すること』『自制する強さを身につけていること』にある」

これ!

これだよ…!

 

そう。ハガレンは、外から見て正しいこと(友情や、努力や、勝利)を、「善」として描いてはいない。

人は善悪併せ持つし、人の正義はそれぞれであるし、欲望に善悪は無い。

主人公の成長を、能力の向上やバトルの勝利ではなく、「大人になること」で描いている。

その、大人、目指すべき姿は、「己の欲望を自覚し、それをコントロールする強さを持つ者」だ。

エドが泣かないのは(そして唯一父親の前で泣いたのは)、その「自制」の表れ。

その自制の正しさと、切なさが、物語の底流にずっと流れていて、水面で読んでいたはずが、ずるずるっ、と引き込まれていくんだと思う。

エドは物語が始まる以前にその自制を身に着けていて、物語のなかで、その自制ほどくこと、誰かの手を借りることを自分に許すこと、を学んでいき、最後には借りて、加えて、返していく、という結論に達する。

 

鋼の錬金術師の連載がまだ序盤のころ、夏目房之介氏が漫画夜話という番組で「少年漫画のアクションシーンは多くがページの断ち切りいっぱいまで線を引くが、鋼はコマの外に余白がある。コントロールできているということだ」というような解説をしていたのだけど、それと通じるものがあると思う。

 

鋼の錬金術師は、欲望を暴走させる者たちと(中略)その欲望を抑え込もうとする者たちの戦いの物語でもある。その驚くほどシンプルで、力強く、クリアな構図」

宮氏は最後に、鋼に登場する女性たちを引いて「日々の暮らしを良く生きること」を示す。

 

銀の匙でも、しみじみと感じるのは、その「抑制」の魅力。

いくらでもお涙頂戴にできるのに、そうしない。

本当に、ここぞという時だけ、その抑制のタガを冷静に外し、そしてまた日常描写に、くだらないギャグに戻っていく。

 

この、抑えられているからこそ面白いのだ、という視点はアルスラーン戦記のレビューにも引き継がれていて、こちらは岡本大介氏が書いているのだけれど、サブタイトルが「抑制の美学」

まさに!

アルスラーンには少年誌の主人公足り得る描写を足し、強烈なインパクトを誇る周囲の面々は(略)やや抑えることで、彼を要としたパーティーの一体感を際立たせているのだ。」

「演出の足し引きが生み出す妙味だが(中略)見事なのは引き算のほう」

 

地に足のついた、とか、骨太な、とか、温もりのある、とか、そういった荒川弘の魅力を「抑制」という切り口で評したこの作品紹介、とっても良かったです。

アニメ雑誌であるのに、メディアミックスに一切触れず、限られた紙幅をただ原作だけに使う姿勢も素晴らしかった。

 

まだ読んでない荒川弘ファンの方、ぜひ読んでみてください!