「べき」ってキライ
何々すべきだろう。
こうすべきだったんじゃないの?
ってときに使う「べき」って言葉が嫌い。
それって自分の願望を他人に投げてるだけなんじゃないの?
それも、自分は直接関われない遠い存在に向かって。
「べき」で、あたかもそれを、あるべき理想のように語ることで、それはただのちっぽけな自分の叶わぬ望みであることから、目を反らしているんじゃないの?
相手を悪者に仕立てることで自分を慰めてるんでしょ?遠い存在を相手にすれば、反撃をくらうこともなく、自分の正義を信じていられる。
「自分が変われないからって、他人を攻撃してんじゃねーよ」
モテない僻み男に投げつけられたセリフだけど。
ああ、これかあ。
言論の怖さってこれなんだなあ、って思った。
どんなに大人で、仕事もしていて、知性的な人でも。
丁寧語を使い、理論的に語り、まるで正しいようなあの言葉。
でも、「べき」と語られたとたん、すーっと距離ができる。
この人、己の求めるものが己の望む通りにならないからって途端に攻撃に転じる、子どもっぽい人なのかも。
「べき」って言葉を使わないようにしたい。
そして調子にのってテキトウな言葉をしゃべりそうになったら「自分が変われないからって、他人を攻撃してんじゃねーよ」って自分に向かって言えるように。