別マガ アルスラーン戦記 感想!
今月は表紙カラー&21ページ!
カラーは三人!
ギーヴはすっかり荒川先生の絵柄に馴染んで描きやすそうです!
対してファランギースはまだ、美人に描かなきゃ、と固いよーな感じがします。鼻のラインとか。
そして私の我らのアルスラーン!
わあい!初めて微笑んでる表紙ですよ!(今までは不安そうな顔が多かったの)
今月の表紙はクオカードプレゼント。もちろん応募しまーす!
今月はちょっとページ増と表紙、それに3巻準備でお忙しかったからでしょうか。
前半、少し絵柄が不安定かな?と感じました。
けれど、ネームは素晴らしかった!
台詞の選択、リズムと間合い、キャラの表情。アイテムと、その意味するところ。
まず冒頭。エラムの緊迫からページをめくって、ガクっと力が抜けるとこ。
右下。「……奴隷にはしないよ」小さなコマだけど背景ベタの重み。ちらりと見遣るエラムの視線。
すぐに明るい怒鳴り声とギャグ顔で脱力させ、そこからシリアスに落として次のページ。
見開きの7割でシリアスパートを終え、右下、相手の行動と、ぱっと剣の柄に手をかけ警戒するエラム。
ページをめくって、相手の意外な行動。
「私と平等だ」「殺しはしない」「奴隷にもしない」
相手は去り、渡された物を見つめるアルスラーン。
霧と余韻。
このパートは、7ページ。前月号から数えても、見開き4回分で終わり。
たったこれだけに、この配分の妙よ!!
原作の別の場面の台詞を言わせ、1話オリジナルのエピソードを引き、そして「食事のひとつでも」という台詞で締める。何気ない台詞だけど、原作既読組は一人残らずここでニヤリとさせられる。あるいはほのぼのと。あるいは切なく。
その後の、あの意外な行動は、原作既読組は更に驚かされたことでしょう。
ええ、私は驚きましたとも。
荒川先生は、物語の膨大なシーンを絵巻物のように流すのではなく、蛇腹に折りたたんで重要な場面だけぎゅっとまとめるのが巧い。
物語の密度と漫画の読みやすさの両立を成すこの技術力が、今回は原作のあちらの場面とオリジナルのこちらの場面を同時に展開するという形でもって、披露されています。
今月の一コマの次に、雑誌ネタバレで詳しい感想書きますね!
さて、今月の一コマ。というか3コマ。
表紙カラーでも話したけども、ギーヴもナルサスも、新しいキャラの絵柄をどんどん自分のものにしてらっしゃる荒川先生。
でも、一番不安定なのが、アルスラーン……。
主人公なのに!(笑)
今月だって、ココ!
この華奢なこと!
こんなに華奢で細い首とか、他の作品の女の子にもいませんよ!(荒川絵柄の特徴は、男はムッキリ女はムッチリ)
でもこの無防備な感じ、めっちゃカワイイ~!
対してこちらは凛々しい表情。
荒川作品の少年らしい、一途さが伝わってきます。
こういう表情、アルスラーンの成長が感じられて私大好き。←どんな表情も好きって言うくせにw
そしてオマケにこちら。
やーん、かわいい~!!!
はーかわいい♪
さてさて。
感想です。
私が今月号を読んで、一番あっと思ったところ。
それはもちろん、エトワールがアルスラーンに聖書を投げて寄越すところです。
ボロボロの表紙、ヨレヨレのふち、きっちり止められたベルト。
「お前のような温いおつむでもわかりやすいように」
だからこの本は、エトワールがまだ幼かった頃に手にした本。
騎士見習いの身分となった今も、異国の戦場でも肌身離さず身につけていた。
大切なそれを、寄越す。
憎まれ口をたたきながらも、エトワールがアルスラーンを悪く思っていないことが伝わります。
改宗を求めるのは、イアルダボート教徒としての義務や誇りによるもの。
でもきっと、エトワール本人は自覚していなくても、アルスラーンが改宗すれば自分と「平等」になれるのに。
逃げ出した捕虜と人質の坊ちゃんではなく、侵略者と異教徒ではなく。一人と一人の人間として平等に相対したい。と、そんな風に感じました。
隣にエラムがいますから、当然に原作文庫2巻のエラムとアルスラーンの馬上の会話を思い出します。
「友達になりたい」
そう。きっとエトワールはアルスラーンと「友達になりたい」んです。まだそれは自身の心の中でも形を成してはいないけれど。
あっ、と思ったこと、もうひとつ。
同じ場面です。投げて寄越した「聖書」。
荒川弘版アルスラーン戦記は、田中芳樹の原作、そして角川アニメ版や少女漫画版と、決定的に違うところがあります。
それは、海外の読者にも読まれることを、送り手があらかじめ知っていること。
角川もメディア化の折には海外も視野に入れていたかもしれませんが、あの頃は今以上に、日本の娯楽小説が翻訳される事例は少なかった。
20年後の今。
Amazon.comでアル戦1巻の発売は8月でした。
英語圏の人もほんの4ヶ月のタイムラグで同じ漫画を手にする。
そして荒川弘は、パリでも台北でもサンパウロでも、漫画コーナーがある大型書店なら探せば見つかる作家です。
もちろん、クールジャパンと大げさに言う割には漫画やアニメはまったくニッチで小さな商売で、収益はほとんど国内ですから、少年漫画の想定読者は日本の少年少女。だから漫画家は特に海外を意識して萎縮したり格好つけたりすることなく、普通に普段どおりに描いている。
それでも、書き手はこの作品が海外でも読まれることを、知っている。
鋼の錬金術師で、初代グリードが溶かされる場面のはりつけの形が十字架に見えるのを、北米版だけ修正されたことも。
中東からのファンレターに、宗教の描き方は相容れないけれど面白く読んでいると書かれていたことも。
そして当然に、イアルダボート教徒の全てがボダンではない。
イスラム教徒とテロリストは違うように。
ボダンが酷い男だからといって、侵略者が略奪の限りをつくすからと言って、その宗教は悪ではない、はず。
田中芳樹先生は(少なくとも20年前の先生は)、宗教を前時代的なもの、人の理性や判断力を濁らせるものと捉えておいでのようでした。
宗教どっぷりなイノケンティスを善良かもしれないがそれ以上に無能であると描き、ギスカールは宗教と一定の距離を保てる優秀な人物、というような描写があります。
でもご存知のとおり、理性を持ち冷静な判断ができるか否かと、いずれかの神を篤く信じているかいないかに、相関関係は無い。
読者の少年少女の中にはクリスチャンもいる。ムスリムもいる。一般に胡散臭いといわれる新興宗教の子も。
自分で選んだのではなく、否応無しに生まれた時から。
そういう子たちもまた、この漫画を読む。
ナルサスの台詞。
「他の人にも大切なものがあるという事を理解しないのです」
原作では侵略者への一方的な弾劾だったこの台詞。
荒川版では、アルスラーンがその懐に聖書を、エトワールの大切な本を抱いて聞くことで、この言葉の相対性が際立つ。
どこまで意図して描かれているかは分からない。
でも、私はこの描き方こそ、今、この物語が再構築される意味の一つだと感じました。
あとひとつ。
「パルスの民を奴隷にはさせない!殺させない!そのためにはどうしたらよい?未熟な私に皆の知恵を貸してくれ」
原作では「パルスの民をそのような目にあわせるわけにはいかぬ」でした。
漫画版ではより具体的に。
奴隷にしない。
殺さない。
これこそ、エトワールが別れ際にアルスラーンに告げた言葉。
奴隷制への最初の疑問は、エトワールが投げかけた。
そしてアルスラーンの「めざすもの」への最初の一歩も。
原作ではナルサスの思想がアルスラーンに強く影響を与えてきたけれど、漫画版ではそれに加え、エトワールという「異文化」が、アルスラーンのきっかけとなっていく。
来月号も楽しみにしています!!
……あの、ところで。
すみません。
この流れでこんなこと言うのアレなんですが。
エトワールが部隊から一人離れて川の近くに居たのって。
その。
お花摘みに(ドカッばきっグシャッ!)
えー…分からない方はそのままスルーでお願いします。
原作未読の方もわからないということでスルーでスルーで!!
あそこでギーヴって、すっごい巧いキャラの使い方ですよね!ニコ!
おしまい。
追記:
拍手ありがとうございました!
いつも記事上げてすぐ拍手くださる方いらっしゃる…って思ってたんです。まさかまさか、あんな昔から。
ほんとありがとう!
そして昔話は黒歴史…w 非公開拍手でほっと胸を撫で下ろしていたり、ハイ(笑)
そんで、ご推察のとおり、あの日も酔っ払っておりました。大丈夫、今は素面です!(素面でコレかいとか言わないで…)
ほんと、ずっと励みになってました。感謝です。こんな勝手なブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします!